母と白血病と私〜Wake Up Call

母が白血病に・・・カナダに移住した私が日本に帰国して付き添った体験をきっかけに、世の中のカラクリから目覚めた記録。

親の病気で仕事を休む〜収入がない不安をどうするか

f:id:Tomoyom:20190318104016j:plain

 

「何もしなければ余命は1ヶ月・・・」

 

妹から朝早くに電話をもらって、

 

母が白血病で、何もしなければ余命は
1か月なんてとんでもない状態である
ことを知ってから、

 

すぐにチケットを取って、翌日には
日本に帰ることにしました。

 

私は当時カナダの会社で働いていたので、
その日も普通に出勤をしなければいけな
かったので、

 

同僚や上司に事情を説明するためにも、
会社へとりあえず向かいました。

 

道中にチケットをおさえ、
会社について上司に連絡したところ、

 

「本来なら、母の担当医から診断書を
入手して、英語に翻訳したものを会社
に提出してから仕事を休む・・・」

 

と言われたのですが、

 

「何もしなければあと1ヶ月しかないと
言われたので、とにかく帰国させて
ください。

診断書の翻訳は、私から母の担当医に
お願いして入手後、メールで送ります」

 

とお願いし、仕事を休む期間もわから
ないまま帰国しました。

 

こんな感じで、仕事を急遽休むことに
なりました。

 

親の病気で仕事を休む=病状の不安

最初の数週間は、会社のことなんかより、
母のことと、父親の身の回りの世話で、
1日はあっという間に終わる日々を
過ごしました。

 

父親が週に何日か働いていたし、
妹は普通に平日働いていたので、
私が毎日、母の病院に行くことが日課に。

 

最初は副作用の出方も強くて、
見ていて非常に辛かったのですが、

 

白血病の抗がん剤治療が始まって、
1ヶ月が経つ頃、一時外泊ができるまで
になりました。

 

金曜日のお昼頃から、日曜日の夕飯後
までを久しぶりの実家で過ごした母は、
久しぶりにゆっくりすることができた
ようで、


私たち家族みんなもまだまだ気が抜け
ないものの、その数日は楽しく過ごし
ました。

 

楽しい時間はあっという間に、
日曜日の夜が来て、病院に戻った時、

 

私は大人げもなく、大泣きをしてしまい
ました。

 

母も妹も私を見てびっくりしていました
が、何もしなければ余命1ヶ月と言われ
ていたので、

 

その1ヶ月をなんとか超えられたことが
嬉しかったのと、


毎日病院に母の様子を見に行って、
気が張っていたのが切れた瞬間でした。

 

親の病気で仕事を休む=収入がない不安

そして、その頃から、
カナダで勤めていた会社の上司から
「いつ戻ってくるのか?」

 

メールで問い合わせが来るようになり、
私自身も収入がない不安が出始めて…

 

とは言え、母が一番辛いはずだし、
私の会社の状況のことは母には何も言わず、
しばらく様子を見ながら過ごしました。

 

そうして2ヶ月が経とうという頃、
母が私に言いました。

 

「あなたの人生が台無しになって、
お母さん今少し落ち着いたから、
仕事に戻ったら?」

 

カナダに戻って仕事に復帰するか、
もう少し母の元でお世話をして
親孝行するか。

 

働くことでもらう給料しか準備の
なかった当時の私・・・

 

でも、仕事はまた探せばいいけど、
母との時間は取り戻せない、
後悔しても後悔し切れないかもと思って、
もうしばらく残ることにしました。

 

会社側ももう少し待ってくれると
言ってくれたので、とりあえずは、
病院通いの毎日を続けました。

 

今思えば、在宅でスキマ時間にできる
仕事でも探せばよかったのでしょうが、

 

当時の私はそこまで気が回る余裕が
ありませんでした。

 

とは言え、
収入がない不安ばかりを考えていても
仕方ないし、

 

父も妹も働いていてくれたし、
その家族の勧めもあって、

 

今まで持っていなかった自動車免許を
取りに行くことになりました。

 

親の病気で仕事を休む=教習所に通う

今回、親の病気で仕事を休むことに
なって、

 

収入がない不安もありましたが、

 

同時に貴重な時間を得ることができ
ました。

 

病気の母に父の身の回りの世話に、
親孝行することができる、

 

スキマ時間を上手にに使って、
運転免許証も取れたら、

 

母が退院したときにも便利だろう、

 

そうやって気持ちを切り替えること
にしました。

 

それからは、
家から母の病院に行った後に、
できるだけ教習所の予約を入れて通う
日々が始まりました。

 

私の気晴らしにもなるはずで
申し込んだ教習所でしたが、

 

のちにただのストレスになって
いったのはさておき・・・


(教習所って意地悪な教官たちが
たくさんいたんですね!)

 

登校拒否を起こす子供のような気持ち
で、いやいや通っていました(笑)。

 

のちにここで取得した免許を持って、
カナダのオンタリオ州の免許に
テストなしで書き換えができたので、

 

最終的には、あの時、免許を取って
おいてよかったのかなと思うことが
できました。

 

今回の最初の母の入院の時には、
自分の収入の確保など全然対応が
できていなかったのですが、

 

このときのことがあったので、
母が再発したときには、
在宅ワークを検討するようになり
ました。

 

それについてはまた次回にでも
書き綴っていこうと思います。 

 

Tomoyom

ーーーーーーーーーー

<Wake Up Call>

人気の教習所を紹介してくれる!
今やそんなサービスがあるんですね。

 

入学お祝い金が必ずもらえる合宿免許

スポンサードリンク